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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
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髪を切った。少し切りすぎたか…。

初めて行ったその店は元町・花隈を上がって、路地を少し入ったところにある。ラーメン・ファーストフードに共通する、赤と黄色を利用した看板は目を引くし回転率もアップする、所謂大衆中華である。以前から通る度に気にはなっていた。独り者の僕はほとんど外食だし(6/16・17、9/12・16日記参照)一見で旨い店を見つけた喜びも知っている。月曜日、店に行く前に時間もあったので入ってみることにする。

数段上がると赤いのれん。その隙間から覗くと雑然とした店内。おやじは新聞を広げタバコ。おばさんはテレビを見ながら座ってる。当然客はいない。引き返そうにも、足音を察知したか「いらっしゃいませ」の態勢。入るしかない…。

店内は予想?を裏切らず、一瞬目を疑う。一言で言うならば「そば屋」の様だ。いや、まぎれもなくここはそば屋である。壁には相撲番付表、JRA・馬のカレンダー。テーブルも椅子も、そこに敷かれている座布団も、内装も照明も、どこからどう見ても和風、いや「和」である。挙げ句の果てに、14枚の色紙が飾ってあった。

「店の歴史はそこにある色紙で解る」(1995年 加納町 志賀談)と言われるように、おおよその判断は付く(ちなみに僕の店には9歳でもらった「千葉真一」のサインがある)。推測するに、1992年から94年のものしかないので、おそらく以前にあったそば屋は、3年間の営業期間だったのだろう。95年の震災、それがきっかけで出ていった。しかし、ほとんど字が汚い。有名人の名もない。と言うか、ほとんど「夢」という字絡みで横にはフルネームが。これは何だ?「初心」と書いているつもりだろうが「ネ(しめす)」へんになってるものもある。子供か?このそば屋に一般人が寄贈したのか、書き初めか?これならまだ、サイン色紙の方がそば屋らしい。ん?左上にどこかで見た書体がある。こ、これは…!『佐川満男(5/15日記参照)』ではないか!唯一の有名人?が、さがわみつおとは……何ともコメントし難いそば屋である。まぁ、とにかくあんまり流行ってなかったのかもしれない。

たった数分でここまでその店の歴史が解るものだ。しかし、一つの疑問が残る。今、ここで中華を営むこの人達はいつから・何故、このままの内装で続けているのか。震災後、お金が無く仕方無しにこのスタイルでやっているのか。そうだとしたら、僕は味はそこそこだけれどこの店を応援したくなった。そして、いかにも立派な中華料理を食べさせる店構えにしてもらいたい。暖かい気持ちと共に心でそう思いながら僕はお金を払い、帰り際こう聞いた。

「この店はいつからやってるんですか?」



「16年前からです」

そば屋ではなかった…………。


志賀変語43
『中華』:イタリア料理やフランス料理は、「イタリアン(フレンチ)食べに行こうか」とは言うけれど、中国料理に対しては「チャイニーズ食べたいな」とはあまり言わず「中華行こう!」と日本人に市民権を得ている 大きく丸い可動式テーブルの中華も好きであるが、高校時代は本店のある京都・山科の「王将」によく行ったものだ 洗剤の付いたままの皿、親指をスープに入れながら持ってくるラーメン、「チャーシューメン、ソーハンイーガー」とおおよそ中国語とは思えない、うさんくささが懐かしい
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