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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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土曜日、静かに時が流れる店、僕は皆さんと話が出来た、つまりご満悦だった。

何度も書いたが、僕は京都の生まれだ。20代前半までいたわけだから、京男(きょうおとこ)と言ってもいいだろう。はんなりと、あんじょうおきばりやす、だ。その日の店では、偶然が重なる。まずは、日曜に京都に行くサッカー選手の来店(色々ややこしかったら悪いので『わた』とだけ書いておこう)、幸せ者のSteelers南條・これも京都からの電話(祇園から「志賀さん高校どこでした?」と。その店で僕の話をしていたらしい。僕はラグビーでは京都ベスト8が最高の公立高校だったから、無名選手だが)、そして極めつけは(大袈裟か)京都からのお客様・川村様のお越しだった。

京都は祇園「やた(和食・バー。ほんとは、難しい字なのだが僕の変換ソフトでは出ない。『ハルマゲドン』は『はる髷丼』となるやつだ)」を経営されていて、ダンディと言えば陳腐な表現だがまさにそんな感じで、2年前のこの日から(これも偶然か?)店のお客様である。 元々京都時代から知っていたわけではない。ある神戸の方からのご紹介であり、「やた」は僕が京都を出てからのお店であるから、雑誌の写真でしか知らなかった。神戸での不思議な出会いである。

ホテル時代から今に至るまで、多くのオーナーと呼ばれる人達に出会った。僕が評価することではないが、この方は典型的な職人気質の経営者だ。働く人の気持ちと、何よりもお客様の気持ちを解っている様に思う。遊びも知っているし、旨い物も食べ尽くしている。そうでなければ、いいものは提案できない。僕のホテルマン時代、寮の食事が旨くなかった記憶がある。それでお客様においしい物を、非日常的な空間を、夢を、提供することが出来るのか。その疑問符に対する答えを地でいっている人に出会えた、2年前からのお付き合いだ。

10日、店では他にお客様がいなくなり、ソファ席で川村様ご一行と一緒に飲む。久しぶりのバランタイン17年。ブレンデッドは最近飲まなかったので、かすかなスモーキーフレーバーが敏感に感じ取れる。僕のベストバランスは12年・ロイヤルブルーなのだが。そしてIWハーパー101を片手に川村様が話し出した。

「2年前ここに来るようになってすぐに、母が死んだ。風呂に入ったまま。何十年ぶりかに母の全裸を見た。必死で人工呼吸したよ。必死で…」実家に久しぶりに帰る夜、川村様はなかなか風呂から出てこないお母様にこんな形で再会した。70歳のまだ短い生涯だった。その後呆然と立ちつくした川村様は、タイマー予約で出来上がった炊飯器の電子音に気付く。「僕が来る時間を思って、ご飯を炊いてくれてたんだね。亡くなってから出来た飯。そこから出る湯気の臭いは今でも覚えてるよ……」

よく人は「ムシの声が知らせる」と言う。でもこの話は遅れて着いた手紙のように、今の時代だからこそ起こることなのだろう。さっきまで話していた人がこの世からいなくなる。それぞれ比べようもなくとても寂しいことだけれど、それはまぎれもなく近しい人の記憶に残る。こうやって人に伝えられる。お母様はきっと、この便利な電化製品の使い方を必死になって覚えていたに違いない。その日から川村様の記憶には、『優しさ』という残り香がずっと心に染みついている。
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