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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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日中の天候とは裏腹に雨が降る。店にイタリアから電話が入る。2000年のワインラベルデザインについての打ち合わせだ。僕はそのコールに流暢に答える。もちろんイタリア語………ではなくベタな日本語で。電話の向こうではイタリア人が「ボンゴレビアンコ、パッパガッロ、ペペロンチーノ」と、まくし立てていた。

店を開けてから6年と3ヶ月。初めてブラケットランプの電球が切れた。もちろんこの間に一度もなかったことなので、ストックの電球はない。応急処置として、キャンドルを置いてみた。ボトルラックにカラフルな瓶を置き、その下からろうそくで照らしてみた。

僕は常々経験からこう思う。例えば、大切な指輪でもいい。小さなネジでもいい。コロッと自分の手を離れたそれらは、カップボードやシェルフの奥に転がっていく。手を伸ばしても届かない。仕方無しに、今までお気に入りの場所にあった家具を動かしてみる。「あった!」小さな物体を見つけだしたときにふと、「あれ?この家具、この場所でもなかなかいいやん!」と気付くことがある。前述のキャンドルは、まさにそんな感じだ。

世の中には絶対こうだ、こうあるべきだ、という人がいる。信ずることは大事だし、確固たる信念を持って生きることも素晴らしい。でも、周りの大切な人間の意見や態度で「あぁ、そういう考え方もあるよね」とか「僕の思惑とは違う感性だ」と客観的に自分を見つめることが出来る。「これでいいやん、充分やったやん」と思えば、たちまち進化・進歩は止まる。

『成功に終わりはない、失敗が終点ではない』アメリカの鉄鋼王も言ってたし。


志賀変語38
『言ってたし〜』:僕は京都生まれだ 語尾によく「し〜」が付く 「〜したはる」も言う ただ京都の人はその丁寧語の使い方がおかしい 「車、混んだはるなぁ〜」「ひゃ〜、猫死んだはるわ〜」というように明らかにその対象に使わない事を言う でもこれは愛嬌だ 嫌なのは「うちのお母さん、お茶習いに行ったはるねん」などという、身内の丁寧・謙譲・尊敬はいただけない
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