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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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10/08「志賀『指揮者』に転職(天職)見いだす?」 バックナンバー >>>
日曜、店は普段休みだが、月曜が体育の日(10/10に慣れた僕は違和感がある)のため夜、一応店にいた。携帯に電話が。万里ちゃんとその友人とっこちゃんからだ。「志賀さん、『バックしゃん』(後ろ美人の意)って死語やんなー。志賀死語に使って〜!!」……この子達は妹みたいな女の子で、よく死語を教えてくれるのだが、もう死語コーナーは終わっとる。頼むで、しかし。店は結局誰も来なかったので、0時には帰路に着く。

さて、突然ではあるが「天職」とは何か。辞書によると「天から授かったつとめ。1.神聖な職務。2.自分の生まれつきの性質に合った職業。3.天子が国を治める、その職務」とある。では、自分はどうかというとその意味の2にあたる「性質に合っている」とは思う。よく人から「志賀は好きなこと出来てええなぁ。天職やなぁ」なんて言われることがある。こう言っては語弊があるが、今の僕はまだ天職に就けていないと思っている…。

僕は、職人・芸術家と言われる人に憧れがある。画家・陶芸家・音楽家…共通する「作品(足跡)を残す」という、下手するとこの世にいなくなってから認められたりするようなアルチザン達に。究極は『売るためにものを創っていない』のだから、多くは家系(家計)的に裕福な背景が見られる。小さい頃から絵や音楽に親しむ、なんて大概「ええとこの子」である(余談だが、スポーツにもそれはある。幼少時からやっているゴルフ・テニス、アメリカンフットボール・乗馬に至ってはまさにそれだ)。死んだ爺ちゃん(特別編「僕と爺ちゃん…」参照)も、婆ちゃんがお茶とお花のセンセイだったから最後まで「発明爺ちゃん」でいられた。しかし今の僕にその背景はない。

人間には可能性がある。ここで言うそれは、宝くじに見られる物質的なものではなく、内面に潜む「誰もが持っているはずの可能性」のことだ。趣味と実益と言うけれど、僕は有り難くもその点では近い。バーという業態の店に立つこと、アートディレクション(店舗・住宅・ロゴ・名刺・パッケージなど、カテゴリーに限りないデザイン)、カリグラフィー(名前、英字、メニューなど)、駄文……。そのどれもが、お客様が発生した時点で「プロ」となり、仕事の域を超えて「志賀」という個性の表現の場となる。潜在していた可能性が、実を結ぶ瞬間だ。

初めて言うが、実は僕は今「指揮者」に興味がある。オーケストラを操るあのコンダクターだ。音楽的な知識は皆無なのに、妙に僕はその魅力に惹かれている。バーンスタインに師事した、佐渡裕をテレビで見てからだ。小学校の頃に観た小澤征爾も凄かった。あれはどうやったらなれるのだろう。やはり環境なのか?この可能性も、僕の中には潜んでいるのだろうか…。

天職を全うするには、長きにわたっての「同じ事を続ける」経験が必要だ。そうすれば天国に行っても、人の記憶の中にずっと「アルチザン」で居られる。なるほど、それが「天職」なのだろう。だとしたら、今やっていることを真剣に継続しなければそこには到達しないはずだ。よって「指揮者」になるのは、天国に行ってバーンスタインを見つけてからにする。


志賀変語13
『孫にも衣装』: 馬子にも衣装なんだな、これが

追伸 6日の日記にある、不二家のネクターの情報を下さった皆さんありがとうございました。おかげさまでインターネット通販で買えました。送ってきたら、進呈いたします。関西には売ってないようですので。
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