www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
9/26「同じ場所・人・空気」 バックナンバー >>>
店の近くにあるアジアンテイストのカフェが改装中である。この店はもうこれで2年くらいの間に4回程、模様替えをしている。都度その業態が変わるのかと思えば、同じ店だ。一口に「改装」と言っても、そんな簡単なものじゃない。よくもまぁ、そんなお金があるものだと思う。羨ましい。まぁ、僕にその金があるのならば、少なくとも店の改装には使わない。この店はこれで、完成品だからだ。しかし以前に来た人がその店の雰囲気を好きになって、いつか久しぶりにやって来たらどう思うのだろう。例えば僕の店に、カラオケが入ったらみんなは……。

時代の移り変わりは、季節の巡りくらい確実にやって来る。酒にその時代を反映させるカクテル・酒類が存在するように、やはり洋服にも、店にも、インテリアにも、流行り廃りを見ることが出来る。スポーツもそうだ。ラグビーはその昔、「われら青春」の中村雅俊の長いパンツスタイル(所謂ロンパン)から、僕が学生時代には大腿にフィットしたSUZUKIタイプに変わり、今また、ロングパンツに戻った経緯がある。しかし「時代は回帰する」と言うが、出来ることなら同じスタイルを貫きたいものである。僕はそんな人や、場所に憧れすら感じている。

京都、寺社仏閣のあるあの町並みに今も尚、国内外問わずに人が訪ねるのは何故なのだろう。それが好きか嫌いかは別として「そこに行けばいつもと変わらない、あの空気と場所が存在する」からではなかろうか。時代の流れに乗ることを否定はしない。商業ベースに考えるのならば、それもまた然りである。しかし、僕の店に対する考えはこの言葉に集約される。『店は家である』

こちらの勝手な解釈によると、店は家だから「その場所から離れない・家主が変わらない(居る人とその人間性)・時に懐かしさが伴う・土足で踏み入る人はご容赦願う・いつも家主の居心地がいい、同じ空気が存在する・その空気を良しと思ってくれる人の集まる場」となる。

今日もまた、静かな空気が流れる。営業時間中にこうして、日記を認める時間があることを幸せに感じながら、時間が流れていく。『店は家である』この理屈から言うと、毎日人がやってくる家も困ったものだから、これはこれで至福の時である。そう感じて過ごすことはとても大切だ。なぜなら外から見えないこんな閉鎖的な店の空気でも、お客様は簡単に見抜いてしまうものだからだ。

けれど仮にもし、この店にカラオケが付いていたとしたら、いくら暇だからと言って「一人で唄っている」そんな店にはしたくないものである。


志賀変語3
『のほほん』:これは「のらりくらり」同様、意味が解らん まぁ、暢気にやってる様子なのだろうが 王様の威張った様子、「おほほん」ではない
Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga