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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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ここ最近の日中、真夏日が続いた。しかし夜となるとさすがに過ごしやすい。心なしか、店のスピーカー・JBLからの音色も乾いた感じでイイ。

久しぶりに山本様が来た。先週末にはたまたま席が無く、お断りしたのでまた来てくれたことを嬉しく思う。山本様はお医者さんである。ご一緒の3名様は若いお医者様お一人と製薬会社の方、所謂MRさんだ。名刺を戴いたわけではないが、その会話で解った。

ちなみに、この人達には「センセイ」と呼ぶことは普通なのだろうが、僕は山本様のことを一度もそう呼んだことがない。他のお医者様も同様である。僕にとっての先生は教師であり、決して「医者」や「代議士」ではない。物事を教わるという理屈から言えば、どんな人、例えば年下からでも教わることはいっぱいあるからみんな先生みたいなものだが、そうなれば誰にでも「センセイ、センセイ」と頭を下げなければならなくなる。それは首が痛くなるので、教師以外をそう呼ばないようにしている。いち人間として向かい合うのなら、そんな肩書きはいらない。しかし一般に、製薬会社と医者、スポーツ新聞の記者と選手、酒造メーカーと店主、このそれぞれの相関は似ている。
「気を遣う方と、遣われる方」である。

こういうパターンで、帰りによく目にするタイミングがある。接待する側の人が「領収書下さい」それが初対面の方ならば僕は必ずこう言う。「領収書切るんやったら、ボッタクリますよ。会社の経費で落とすということは、この店を個人として楽しんでくれてないということでしょ」言葉で言いながらボッタクリは出来ないが、必ず言う。

さて、件のご一行。支払いの際に案の定、始めて来たMRさんは密かに「支払いと領収書」の完全パッケージを要求しようとする。しかし、山本様はそれを遮った。そして僕はこう言う。「山本さんは製薬会社の方と来ようが、お友達と来ようが自分が支払われます。接待を受けるお立場なのは仕方ない。でもこの店では、ビジネスの関係を通り越して皆さんとプライベートを共有されている。ここはそんな場所です」更にこうも言う。「お医者様をタクシーに乗せて見送って、接待に疲れた。このまま帰るのは寂しい。そんな時にここを自分のお金で使ってくださいよ…」

山本様が初めて店に来られた数年前、その声のトーンの大きさに「静かにしてください」と僕は言った。そしてもう一度来店されたとき同伴者に「志賀さんにこの間、怒られてん」と言って笑っていた。「先生」にも怒って欲しい時があるはずだ。山本様とは、もう何年かのお付き合いになる。

信頼関係は、そんな『本音』という場所に存在するものだ。


志賀死語102
『お墨付き』:絶対間違いない、超お薦めの意 そもそもこの言葉の発端は何だ? 昔はそうやって一筆もらうと一流だったのか 「墨を付ける」というと、初代「コメットさん」で九重祐美子?が失敗すると、頬に筆でバッテン印を付けられるという、ネガティブな姿を思い出してしまう… 
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