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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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誰もいない店、先程までのワインが少し残る。今は静かに店の終わりを待つ。

製薬会社に勤める体育大時代の後輩が3人で来ていた。そこに合流した神戸製鋼ラグビーの2人。その時間、他にお客様もいなかったので一緒に飲むことにする。後輩は学生時代のあだ名は「うなぎいぬ」。あのバカボンに出てくるキャラクターに似ているからであるが、製薬会社の後輩の前で「うなぎネタ」を連発したため、彼の先輩の威厳も崩れ去る。縦社会・年功序列が基本の会社組織。しかし、プライベートの格好悪い部分も見せることで、また会社とは違う関係が深まる。人間味のない威厳なんて砂城のように崩れていくわけだから、僕はそのキューピット(文末志賀死語参照)となったのだ。感謝しろ、ウナギ犬よ。

独り者の僕は(この言い回しが多いな)外食がほとんどである。飲んだ後や、朝まで三宮にいたりすると牛丼・ラーメンは当たり前であるが、さすがに夕食となるとそこには一人では行けない。一人で行ける店は開拓しないと、寂しい食事となる。が、ガイドブック片手にそこまでしない僕は、結局知人がやってる店に行くことになってしまう。それでも、極たまに一見で入ることも…。

まだ、店をオープンして間もない頃、件の向かいのビリヤード屋さんのマスターに「この辺に一人で行ける食べ物屋さん無いですかねぇ」と聞いた。「あんまり流行ってそうにないけど、裏の道にそば屋があるよ」…その日に行ってみた。蕎麦屋というと、関東にある「蕎麦が来るまでに日本酒で一杯」なんてそこは粋なものではなく、所謂大衆そば屋であった。大衆そば屋を馬鹿にしているわけではない。中華にも共通するグランメゾンごとく「うちはそば粉の割合が違う」「手打ちにこだわるため、時間が掛かりまっせ」もいいが、僕が京都に帰ったら必ず立ち寄る、四条寺町を下がった「永正亭」のような、取っつきやすい旨い店を発見するのは、至福の喜びというものだ。

店の裏のその店。初めての入店は期待と緊張が相まっているので、のれん越しに覗いてみる。閉店は夜の7時と聞いていたが、今6時半、それでも6テーブルある店内は、4カ所に人がそれぞれ座ってる。「なんや、流行ってるやん」初めて行く店が『当たり』だと嬉しいもので、僕は思いきって、逸る気持ちでその店に入る。「ガラガラッ」「いらっしゃいませ」4テーブルで食事をしていたはずの皆が、立ち上がってそう言った。まかない食事中の家族だった……。

メニューを持ってくるのも、オーダーを取るのも、作るのも(それはそうか)、持ってくるのも、全て違う人の「家族サービスのフルコース」を僕はそこで貸切で振る舞われた。その後、行くことはないのだが、皆さんが友人や周りの人に冷たくされたり、落ち込んだりしたときには閉店間際に行ってみればいい。そこには、至福の時が待っている。但し、味は……保証出来ない。


志賀死語97
『キューピット』:愛のキューピットなんて言うが、それは「やり手ババア」なんて言われるほど、お節介で、ホントはみんな自分の力で大事な人を見つけるものだ だけど僕は、知人と会う度に「俺を幸せにしろ!」と言っている、矛盾が隠せない人間だ 独身の理由は、おそらく天使の格好で弓矢を持っている「キューピット」と「小便小僧(とんでもない名前のこいつは何者だ!)」との見分けが着かないからかも知れない…
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