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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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僕の店の周りは、不思議な街並みである。いや、町並みと言った方がしっくりくるだろう。店の場所は、神戸の人なら「キムチラーメンの近く」で通ずる。そして近くには、この町内事情通のおやじがやってる中華屋。開店前から行列ができている、何時に開くか分からない焼鳥屋。ブラックジャックに似ている院長のいる産婦人科。毎年子供が増えていくクリーニング屋。6年で4回飲食店が変わった場所(いまは定食屋?)。やはりはずせない僕の居場所、玉突き屋。そんな一郭に、そのホテルはある…。

所謂連れ込みホテル、モーテル、逢い引き・お忍び(文末志賀死語参照)の場、真昼の情事、ファッションホテル、Hホテル…とにもかくにも、そこは聞くところによると、どの呼び名の時代にもずっと生き抜いてきた歴史のある場所だった。この暗い裏道に、そこに進むカップルを何組見たことか。狭い道だから、車一台通ると、人が歩くのもままならない。ある日のこと、僕がいつものように車でこの道に入ると、制服を着たおとなしそうな高校生が向こうからやって来た。僕は一旦停止し、彼らをやり過ごす。2人は「ペコッ」とお辞儀をして、すれ違って行った。「最近の若いモンにも、礼儀がきちっと出来る子もいるんやなぁ」バックミラー越しの微笑ましい気持ちも、すぐにうち消された。彼らは手をつないで、件のホテルへと消えて行く。羨望の念を押し殺し、僕は叫ぶ。「最近の若いモンは!!…」

その由緒正しい?ホテルが人の手に渡ったのは8月。僕はそのホテルのオーナーが住んでいたビルの一階に車を駐車させてもらっていたのだが、そのビルと目の前のホテルの権利が、大阪のこれまたホテルチェーンに売り渡されてしまった。よって僕の車は、未だ流浪の大木のように日々彷徨っている。それはいいとして(よくない!)そのホテルは、11月まで全面改装となっている。よって、僕の店で女性をくどきその後にホテルへ、という淫靡な計画は今は止めた方がいい。

ホテルの向かいにあるビルは4階建てで、以前は4階部分にオーナー住居があり、後は会議室として使われていた。それが、新しく「1階 シュークリーム屋」「2階 クラブ(若者の方)」「3階 バー」になると言う。「スタジオが出来るらしい」とも聞く。少なくともファンタジックな『スタジオ・ジブリ』でないことだけは確かであるが、ウワサが本当なら、周りでたむろする若者の姿が浮かんでくる。辺鄙な場所で、人通りが少ないからこそ「志賀」の価値がある。なんでまた、こんなところで「シュークリーム屋」なのだ?僕の店のロケーションをご存知の方なら解るだろう。あんな場所で、飲食店が成り立つとはなかなか思えない。何やら怪しい臭いがする。

打ち上げ花火みたいな店はいらない。うちの店を見ろ。線香花火みたいで、今にも落ちそうで、細く長く……うぅっ……ほっとけ、バカヤロー!


志賀死語95
『お忍び』:ひっそりと、という意 決して、ほっかむり・地下足袋で忍び込む、という意味ではない 違いは、鎖帷子を纏っていたら忍者だろうし、唐草模様の風呂敷を担いでいたら泥棒だ 忍者がいた「琵琶湖タワー」も、昭和30年代の「物盗り」スタイルも、今は昔 やはり死語である
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