www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
8/25「子供のいる風景」 バックナンバー >>>
金曜日。かなり暇な時間が続く。ビリヤードも終え、あとはお客様を待つばかりなのに、店は閑散としている。Steelers平尾くんが一人で来ている。飲みながら、貸切のこの店で語り合う。

小さい頃、力強い言葉をくれて、いつも背筋を伸ばしながら接していた彼のお祖父さんが、床に伏したそうだ。一人で会いに行くも、ラグビーという言葉を言ったときにくらいしか反応がないお爺さんに、寂しい思いがしたようだ。僕もつい最近経験がある。大好きだった爺ちゃん(特別編「僕と爺ちゃん、ガラクタと長靴」参照)が逝ったときに「彼女の一人でも見せてやりたかったなぁ」と思い、逝く1週間前に訪ねると、手を握る力はあったけど話が出来なかったことを思い出した…。でも「老人は子供に帰る」とはよく言ったもので、それはそれで人生を全うできたことの証だと思う。

僕は、元々こう見えて子供が大好きだ。子供のような心を持った大人も大好きである。「子供に帰る」ではないのだけれど、お客様が何人かいる店に初めて3歳と1歳の男の子が来た。もちろん扉をたたいて「久しぶり、マスター」と入ってきた訳ではなく、お客様の奥様と一緒にである。帰り際「今日はどうでしたか?」と聞くと3歳の紳士は「なんかねぇ、おもしろかった。でねぇ、オレンジジュースがおいしかったよ」と言ってくれた。「志賀さーん、バイバイ」って言いながら兄弟共に手を振ってくれた。

例えばこう言う人がいるであろう。「バーに子供がいるなんて」「こんな時間に子供を入れるなんて」と。でも、それもアリだと思ってる。なぜなら、ここは僕の店であり家のようなものだからだ。一般的なルールに則って、ここはあるんじゃない。僕の家に遊びに来てくれた人、そう思えば一見さんでない限り、いつだって歓迎する。そして、3歳と1歳のジェントルマンが、いつか大人になって「あの時は僕たち若かったよねぇ、マスター」なんて言えば「マスターではなく、志賀さんと呼べ!」と言いたいものだ。


志賀死語84
『太鼓判』:「志賀さんは幸せになれる。あたしが太鼓判押すわ」と、10歳も年下の女の子に言われた でも、そういう人は僕を恋愛対象に見てくれないものだ… 幸せとは何か? 今は結構幸せなのだが、もっとどこかにそれはあるんだろうね、そんなユートピアが…(死語)
Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga