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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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8/09「可能性を求めなくなると、成熟が始まる」 バックナンバー >>>
先日室伏選手について書いた(8/7日記参照)が、投擲パワー系の競技は投げた後「吠える」ことに意味がある。あの投げ終わってからハンマーに向かって叫ぶ雄叫びは、見た目には異様だ(それで距離が伸びるわけではないが「もっと飛べー」という願望もある)が理にかなっているらしい。例えば、そうやって声を上げた時にとてつもない記録が出たとなると、たちまち他の選手のプレッシャーとなる。相手の首を取った古代民族の雄叫びにも似たそれは、威嚇となるわけだ。彼らも長年の勘でそれなりの投擲が出来たときしか声を出さず、皆にプレッシャーを与えるつもりで発した声が、大した記録にならないと見るやフェードアウトしていく。その姿は大男達だけにカワイク映る。

『可能性を追い求めることを止めたとき、人間は成熟が始まる』原文は忘れたが、これはアメリカのある学者が言っていた言葉だ。翻訳すると解りにくいが、欧米では「成熟」イコール「大人」というよりも、果実のごとく「成熟」した後は木から落ちる意味の「衰退」を辿ることを唱えている。ここ日本では「大人らしく」「もういい歳なんだから大人げない」などと言って「早く大人になれ」と諭してしまうが、このアメリカの学者は、成熟の手前を可能性がある状況と見ている。

僕らと、今現役でスポーツをやっている人間とは何が違うのか。最近の僕は、思いっきり怒って声を出したり、山に登って「ヤッホー」などと叫んだりしていない。スポーツをやっているときや、観戦しているときには自然な行為も、街中で信号待ちをしている時にそれをやっては気の触れた行動に変わる。僕の勝手な解釈だが、大きな声を出すということはある種『大人になることを拒むための叫び』なのではないか。つまりは、必要な場所で声をしっかり出すことは、いつも可能性を求め続けるというあの学者の理論に通ずる。

体を動かしたり、何かに熱中して応援したりすることはとても重要で、改めてその大切さを室伏選手、ハンマー投げは思い出させてくれた。もし彼に会えるようなことがあれば、迷わず「おめでとう!!感動した!」と小泉首相ばりに大声で言ってみよう。好きか嫌いかは別として、あの総理が若く見えるのは、大きな声を出す場所を持っているからかも知れない。


志賀死語69
『熟女』:最近あんまり見かけないぞ 熟男とは言わないのは「男はいつまでも子供でいられるから」なのか 京マチコみたいな人が僕の熟女のイメージだ
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