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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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3日も暑かった。エアコンの利かない僕の車は、動くサウナである。早い時間から、神戸製鋼・南條、神戸新聞・高木両君が来た。何やら、表情に曇りがある。少し飲みながら、話を聞く。彼らは、この店では「素の自分」で話してくれる。

以前元町の『3D』にいた、仲くんが久しぶりに来る。今は新大阪でバーテンダーを引き続きやっている。地元ゆえに、彼の顔は充実の日々を物語っていた。

お客様が引けたのは1時過ぎ。今日は終わるとするか。寝不足で、酒も入ってこのまま帰るのは危険だ。思わず、ソファーで寝ころぶ。15分ほどして、携帯が鳴る。「NTVスポーツのテーマ」だ。この日、スポーツ関係の知人の着メロを、皆これにした。こんな時間に夢と現実が交錯して、一瞬どこにいるかも解らないでいた。奴、永島(5/17日記参照)だ。30分ほどして彼は来た。一緒にワインを飲んだ。時があっという間に過ぎる…。

午前4時、まだ帰れず。一瞬、眠ってしまっていた。なぜか、共感を覚えた「山本勘助」について書きたくなる。詳しくは割愛するが、彼は武田信玄の側近に51歳でなり、謀略家として名を馳せる。孫子の兵法と同じく、よく読み返す「謀将 山本勘助」の彼の何たるかを凝縮した一文によるとこうだ。

「私は武田家で立身出世をいたすことよりも、後世の語り草になるような合戦、名勝負を世に仕掛けてみたいのです。私は陰の参謀、軍師になるのが望みです。名誉や地位、出世は必ずしも望んではおりません」

彼は決して奢らず、時代を演出する「デザイナー」であったのではないか。以前にも書いたが『デザイン』とは日本語で「謀り、目論み、企てる」ことである(年中ムキゥーッ「志賀って昼間なにしてんの?」参照)。こういう気持ちを持った人は「職人気質」で、売るために(世に認められるために)何かを作るんではなくて、自分が自分であるために何かを創り出す人だ、と思う。結果、極論は「死んでから評価される」のかも知れない。そこまでなれるかどうか分からないけれど、僕はやっぱりそんな人が好きでこの店がそうなればいい、としみじみ再確認した。まだまだ模索と暑い日々は続く…。


志賀死語42
『ハレンチ』:破廉恥と書く 改めて、実は日本語なんだな…  戦国時代なら帯をくるくるほどきながら「あれ〜殿〜お戯れを………」ってな感じか?
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