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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
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昨日の店でのこと。お客様同士が沖縄行きの話をしている。近くみんなで旅行を計画しているらしく楽しそうだ。沖縄の海は当然須磨よりきれいだ。でも、石垣島の海はもっと澄みきっている。

石垣島へは、沖縄本島からその当時(今はJALが直通)プロペラ機で50分かけて到着する。関西からなら半日仕事だ。小さな島だから、空港の周りにも民家があって低空飛行で降り立つ際にスリルがある。

空港にはいきなり、具志堅用高の等身大パネルが歓迎してくれる。そこからタクシーで港まで10分。そのタクシーに驚いた。床が一部抜けていて地面が見えるのだ。「この辺のタクシーは本島から払い下げたやつで、んでもって潮の風で錆びちゃうからねぇ」島の人はおおらかだ。

僕は大学を出てホテル業界に就職した。勤めるリゾートホテルグループの施設がある、小浜島(石垣より船で30分)に最初に来た日の出来事である。小浜は周囲14kmの別名「はいむるぶし」(地元の言葉で南十字星の意)という小さな島だ。僕は星座には詳しくないが北斗七星くらい解る。ところがそれどころかこっちでは星座の説明が出来ないくらいに星が溢れていて、流れ星も何度も見た。空気が澄み、海は200mくらい遠浅で、魚や動物までも一杯いるところだ。いやなことと言えば、突然のスコールと台風の直撃、その当時はNHKしか映らなかったことくらいだ。(ちなみに石垣では本島でやってるドラマを録画してレンタルしていた人がいた)。潮が満ちている間に網を仕掛け、夕方にはふぐやイカや、こちらではお目にかかったことがないようなカラフルな魚を、寮で夜の「あて」にしながら乾杯する毎日だった。

この島には唯一、東京から来た家族が経営する喫茶店があって、そこまではMTBで容易に行けた。その足で、島の一番の高台(といっても70m)に登ると360度海が見渡せた。余談だが、今隣に住む佐川満男さん、ジェームス山のサンヨー研修センター空き地から、大阪湾や淡路が見えるすばらしい場所を教えてくれた際「志賀君、ここは360度海が見えるねん」と豪語していたがせいぜい180度の間違いであり、陸の孤島か!と突っ込んでしまった…。話戻って、主に買い物は石垣に行き、本島から1週間近く遅れてくる雑誌や、なぜか港にあったケンタッキーFCを買ったりした。今ではホテルもゴルフ場も在るようだが、当時港にあった小さな商店街も50mくらいしかなく、そこで見つけたポスターに『間寛平、来たる!』と、まだカンペイちゃんがおかっぱ頭で新喜劇「猿神家の一族(於・旧京都花月)」に出ていた頃の写真が貼ってあったのは笑った。

「はいむるぶし」で夜な夜な酒盛りがあることは書いたが、本島・本土ではおそらくお目にかかれることがないであろう出来事を最後に。少ない住民の一人、漁師さんがカジキマグロを釣り上げた日。どこからともなく、島民はその家に集まりオリオンビールや泡盛を持ち寄りマグロを突っつく。大半があまり知らない人達だ。おのおのそのまま食べたり、すし飯で手巻きにしたり、貝類もいっぱいあった。宴に終わりはない。みんな勝手に帰っていく。誰も金を払うものはいない。都会から来た人は最初これに驚くようだ。そこには、年功序列も特別もない。有名人でも金持ちでも、純粋にうまいもんを一緒に食っている。みんな、笑っている。懐かしいその頃の体験が僕の人生を大きく変え、今この店に反映されているような気がする。


志賀死語5
『電池』:懐中電灯のことを爺ちゃんはこう言っていた。昔は単一が並んで入っていたからか?
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